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こんにちは!Photo Studioいのせんとのキョーコです。

このサイトは、

写真を撮りたいけどどうしようかと悩んでいる人や

とりあえず今は考えてないけど写真館ってどんな感じなのかな、という人や

日々の何気ない<楽しい>だったりちょっとした<ステキ>を大事にしている人や

大好きなものに囲まれて毎日を心地よく過ごしたい人に向けて発信しています♪

管理人キョーコのプロフィール

ワタシは現在人口約25万人の山形市で夫とスタッフ1名とで小さな写真館をやっています。

30過ぎて実家のある埼玉からこちらに来ました。

結婚前の仕事はモデルのキャスティング

高校時代の担任も先生の期待を裏切り大学受験にあっけなく失敗したものの、すぐ上の兄が芸大を目指してすでに浪人中だったので二人目までは浪人が許されず、かと言って家を出て新聞奨学生をやりながら予備校通いをする勇気もなく、なかばやけっぱちになって(苦笑)短大の栄養学科に進んだのちデパート勤務、イギリス留学、帰国後ツアコンなどをやっていましたが結婚前最後の仕事は東京の大手広告制作プロダクションでモデルのキャスティングを担当していました。

当時会社が抱えていた数十人のカメラマンそれぞれの仕事に応じて要望を聞き、〇〇なモデル、と言われれば〇〇なモデルを、△△な子、と言われれば△△な子を、□□な雰囲気が必要なんだと言われれば□□なタイプを探してモデル事務所と連絡を取りオーディションを組んで、モデルを会社に呼んでいました。

モデルが決まればモデル事務所とギャラの交渉をして、会社の各カメラマンが抱えるアシスタントが自分の腕を上げる目的でモデル撮りをしたいと言えば事務所と連絡を取り、あーうちもこの間入った子がいるから頼むわとモデルを紹介してもらってアシスタントくんに、「○月○日○時9スタ。よろしくね!」と仲介したり、日本人モデル外人モデル関係なく定期的に<顔見せ>に来るたび挨拶したり。

今は俳優ですが昔モデルだった伊藤英明も顔見せに来た時「よろしくおねがいしますっ!」って両手を差し出してビシッと挨拶してましたっけ、当時はとても爽やかな青年でした。その後あっという間に芸能事務所に行ってしまいましたが・・。

米倉涼子もオーディションに来てました。IKKOはまだ当時ヘアメイクさんで、撮影の時、カメラマンが「あいつフツーの女以上に女だから!」などと言っていて、実際本当にデリケートな雰囲気の方でした。

当時はモデル→俳優になるパターンの走りだった時代だったと思います。反町隆史は当時ノグチタカシという名前でモデルをやってました。りょうとか、引退してしまいましたが江角マキコもばりばりモデルをやっていた時代です。

とにかくなんだか学校みたいな会社で、今では懐かしい思い出です。思い返せばホントに楽しかった。けれどもその、大好きだった会社が、先日なくなってしまいました。

山形を車で走っていてもこの間まであったお店が「ない!」っていうことが結構頻繁にある気がします。

もう、時代はどんどん変わっていて、これからの5Gの時代に一体何が起こるのか。

話は戻りますが、

その会社でカメラマンアシスタントとして新卒で入社してきたのが夫だったというわけで、縁というのは本当にどこに転がってるかわからないものです。まさか自分が結婚を機に山形に暮らすことになるなんて考えもしませんでした。今考えても不思議だなーと思います( ゚д゚)

そしてこっちにやって来ました

父はサラリーマンをしていましたから、自営業の大変さなんて全然考えもしませんでした。雪の時期の乗り切り方とか、小姑との付き合い方とかそんなこともあまり深く考えもせず(><)結婚は勢いだとばかりにえいっと、やって来ました。やって来たのはいいのですが。

最初の4年くらいは夫の実家の白鷹町にあるお店を手伝いながら過ごしました。今思えばこの頃だけがこちらに来てわりとのんびり過ごせた時期かなぁ。

ずっと歌が好きで歌手になりたい思いもあってこっちへ来てからオーディションをいくつか受けたりもして、全日本歌の甲子園というのがあって審査員特別賞をもらいました。

テープ審査から大阪のシャンソニエで毎週歌わないかってシャンソン歌手の出口美保先生に言ってもらったこともあったんですけど長女が当時3歳で熱性けいれんを何回か起こしたりしていて、大阪から夜行バスで山形に戻ったら熱を押して私に向かって玄関までフラフラ歩いて来て「ママーっ」って抱きついてきた時には、あーワタシの夢は終わったなと。 笑)

夫は何も言いませんでしたが

「諦めてください」

とホントは言いたかったのだと思います。

で、白鷹町での生活もほぼ4年が過ぎたのですが・・。

夫はといえば!

こちらが何も言わないでいると実家の店に馴染んで今にも埋もれそうな様子で、もうすぐ約束の30だというのに一向に重い腰を上げようとしないのでした^^;

そうです。山形に帰ったら市内に独立してお店を出そうねと当時から約束していたのです、オープン後の苦労など知りもしないで・・・

でも約束は約束。

「30までに独立するって言ったよね!言ったよねぇ!!」とそんな夫のお尻を今度は私が叩いて 笑)やっとテナントを見てまわり始めました。10件以上見てたでしょうか。

結局決めたのは最初に見た物件で、それが11年間お世話になった南三番町の南三番館でした。

独立オープンしてからが大変だった

当時開店資金を銀行に借りるのも簡単にはいかなかったのですが、まあなんとかかんとかオープンにこぎつけたのが2004年の6月で夫はその1ヶ月後に31に。とりあえず約束は守ったわけです。笑)

ただそれからはもう山あり谷あり、平坦な道はどこ?まっすぐな道はどこーっ!!(ハアッハアッ・・・)という感じで、本当にゼロから始めたので誰もうちの店のことなんか知らないわけです。

ですので思うように集客もできなくて、よく毎日のご飯を食べるお金があったなーと思い返すと今も不思議でならないのですが、とにかく必死でした。来てくれたお客さまに喜んでもらうことだけを考えて、撮影する夫のアシスタント業務と写真セレクト、七五三の子供さんのお支度ができるようにと一時期長女を連れて実家に帰って美容学校に短期で通ったり。

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そうして時は経ちました。こうしている間も時間は過ぎています。

まだ山形に慣れない慣れないと思っているうちに、いつの間にかそのワタシに当時夢を諦めさせた(笑)長女が大学生になったのでそのくらい時は経っているわけです。

そして数年前街中からこの丘(というか山?)の上のステキな場所に引っ越して来たのですが、むむお客さんが少し減って来ている!?うーんうーんと悩んで悩んで。

で、最近思うんです。うちを、好きと言ってくれるお客さまを今まで通り大事にすればいいんだって。それしか、ムリなんですよ。全ての人に来てくださいはムリなんですよね。最初はそう思ってたんですけどね(><)

小さなお店なのでいのせんとのことを知らない人もまだまだたくさんいると思います。

もっとたくさんの人に知ってもらわないといけないと思っています。

いのせんとに来て、よかったと思ったらぜひ友人知人の方へご紹介をお願いします!

できることは精一杯やって行きますので、これからもみなさまどうぞ応援よろしくお願いします。そしていつもありがとうございます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

お店のH.P→http://www.innocent-smile.jp

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